mitsukabouzu

光夏坊主 素直で直観的な作業の記録

ショートショート 小説

ワーキングシーン

 年齢もまばらな見知らぬ男女が椅子に座り、書類を眺めたり、ぼーっと宙を見たりしながら自分の名前が呼ばれる番を待っている。力をなくしたように見える男女の目にはいったい何が見えているのだろうか。ここにいるくらいだから多少なりとも皆同じ運命を抱えているのだろう。そんなことを考えながら、藤浜まさみは空いている席を探した。

 今年30歳になるまさ美は、勤めていた大手広告代理店の規模縮小に伴う早期退職者募集に応募し、わずかながらの退職金をもらって退職した。しばらく何もしなくても生活できるくらいの貯金はあるが、キャリアのためにあまり長いブランクを作りたくない。会社で培った顧客対応能力と広告センスはすぐに売り物になるだろう、と思っていたが実際に転職活動をしてみるとそう甘くはないことがわかってきた。

 退職してすでに5ヵ月が過ぎようとしている。ハローワークに来るようになって、パソコンで希望の条件を入力し、情報をプリントアウトして相談をするという一連の流れにも慣れ、窓口の担当者の顔と名前を覚えた。

 そのうち担当者の指名ができるということを知り、少し前から川口さんという女性を指名するようになった。年齢は50歳を超えたくらいで、色白で化粧も派手ではない。丁寧に話を聞いてくれるし、大きな包容力を持っているようなところが気に入った。

「藤浜まさみさーん」

 名前を呼ばれカウンターの前に座る。

「どうですか?そろそろいい仕事は見つかりましたか?」

「なかなか厳しいですね、給料は以前の会社と比較して随分少なくなるし、かといって、給料が希望の額に近くても他の条件がね、例えば、この会社は給料がまあまあなんですけど、会社の場所が自宅から遠すぎるんですよね」

 プリントアウトした企業情報を受け取った川口がメガネをかけなおし書類に視線を落とす。

「なかなかないですか、でも仕事って条件だけでもないんですよね」

 ざっと企業情報に目を通した川口が顔を上げてほほえむ。

「もっとライフスタイル的なところから考え直しませんか?わかってるとは思うけど、残念ながら広告業界は残業が多い世界でしょ?ライフスタイルを優先してもっとワークライフバランスの良い他の業界も探してみるとか、どうかなと思うんだけど」

 ライフスタイル、業界、大学を卒業して就職活動をしていたころが懐かしい。会社案内や就職情報には、ワークライフバランスや充実したライフスタイル、といったような言葉が躍り、ファッション雑誌でも見ているようだった。

 しかし、実際に就職してみると、現実はそんなに甘くない。まさ美が勤務していた広告代理店には顧客第一主義や社会貢献といった言葉の裏に、残業や休日出勤という自己犠牲精神が残ったままだった。

 まさ美が勤務していた会社では、残業は当たり前、終電で帰宅することも週に2,3回はあった。仮眠部屋なる部屋もあり、終電に間に合わずに寝泊まりする男性社員もいた。5時に上がって丸の内で買い物なんて、作られたテレビの中の世界のことだけだと思っていた。

「お給料以外で、楽しみって感じたことあるかしら」

 まさ美は広告代理店時代の記憶をたどった。入社して残業をしたり、顧客から叱られたりしたことが思い出され、胃の辺りがキュッとなるのを感じた。

 川口はパソコンを立ち上げ、他の仕事も探してくれているようだ。

 入社後5年くらいから部下を持つようになったが、3歳下の男性社員をいじるのは楽しかった。一度男性社員が泣いたことがあるが、少々高揚感を感じたのも確かだ。

 そのことを川口に話すと

「そうね、上からが好きなのかしらね」

 川口はパソコンの画面を見ながら独り言のようにつぶやいた。

「えっ?」

「いや何でもないわ、残業はあるとまずいのよね」

「そうですね、自分がきついのはもういいかな」

 確かにわがままな条件だとは思うが、今さら違う業界に転職してゼロからなんてやれる自信ないし、仮に本当にワークライフバランスの良い会社だとしても、そんなの就職してみないと実際にはわからない。

 しかし、ワークライフバランスという言葉を川口の口から聞くと、少し胸が高鳴るような響きを感じたのも確かだった。

「業界を変えるのも悪くはないと思うんですけど仕事を始めてから転職なんて考えたことなかったから、他の仕事が良くわからないんです」

 川口ならなんとかしてくれるのではないか、そんな気がした。

「30代で転職する人の中には、男性でもそう感じている人が多いのは確かね。でも、このご時世、残業もあまりないっていう会社も少なくないのよ」

 残業がない会社がまさ美に近づいている気がする。

「何かそういう会社を見つけられるキーワードとか、ヒントになるようなものってありますか」

 川口の言っていることは本当だろう、そうであれば業界は違っても良い。だんだんその気になってくる。川口もその言葉に何か考えているようだ。

「そうね、じゃあ、あれ使ってみましょうか」

 しばらく何かを案じていた様子の川口が口を開いた。川口はちょっと待ってというような仕草をすると、席を立ちパーテーションの裏に消えたが、すぐにスマホを手にしてまさ美の前に戻ってきた。

「藤浜さんラインやってます?」

「はい」

「じゃあ、ライン交換させてもらってもいいかしら」

「大丈夫です、ちょっと待ってくださいね」

 何か、教えてくれるのだろうか、バッグからスマホを取り出しライン交換をした。

「今、ワーキングシーンのサイトのURL送ったから、ダウンロードして使ってみて」

「なんなんですか?これ」

「そのアプリを使って人を見ると、その人が日頃仕事をしているシーンを見ることができるの。一見余裕がありそうに見える人でも、本当はきつい仕事をしていることもあるし、逆に忙しそうな人でも、5時にはきっちり仕事を終わっている人もいるのがわかると思うわ。その人の仕事ぶりと仕事の実態を観察できるから、ちょっと研究してみたら。でも、こんな案内は禁止されているから他の人には秘密ね」

 川口がにこっと笑う。笑顔がとてもかわいらしかった。

 便利そうだが、実際にその人を画面に映すだけで1日の行動が見れるような不思議なことがあるのだろうか。しかも、人にスマホを向ける難題もクリアしなければならない。ただ、ここは川口の笑顔を信じてみよう、とりあえず自分だけではどうにもならないことはわかっている。

 ハローワークの帰りに、早速、電車のシートに座っている人のワーキングシーンを見ることにした。座らずに吊革につかまってスマホのニュースでも読むふりをすれば、映していることには気付かれない。

 足元に座っているのは、20代くらいのスーツを着たビジネスマンだ。カメラで映すと左側に時間系列が表示される。超高速で1日の仕事ぶりが流れるが目視ができない。10秒くらいでファイルが1個できていた。

 ワーキングシーンはカメラのレンズ越しに見ても、その場では早すぎて動画を確認することはできない、ファイルを作り、後でファイルを開いてゆっくり見る仕組みになっていた。

 自宅に帰って電車で作成されたファイルを開くと、電車の男性が会社に出社したシーンから始まった。時間は9時半を指していた。きっと証券会社なのだろう、朝礼をしている横のホワイトボードには投資信託や株の銘柄が書いてある。株価の値動きを表すグラフも並んでいた。

 ゆっくり見ることもできるが早送りや巻き戻しができる、ユーチューブみたいな機能だ。面倒なので早送りで見る。外回りで客先に行くところが流れている。夕方くらいに何か契約が決まったのか、客が書類に印鑑を押し、男性が何回も頭を下げていた。18時になると一旦会社を出るが、1時間後には上司らしき人と待ち合わせ、いっしょに人と会っている。高級クラブの接待なのだろう、相手は高齢だがきっちりしたスーツを着た紳士に見えた。

 なるほど、映した人の1日の仕事を見ることができる、これなら本当の勤務状態を確認できるわ。

 電車でワーキングシーンをとった男性の隣に、きちんと髪を整えて折り目の付いたシャツを着た女性が座っていた。膝の上のバッグも高そうでシックだ。こういう仕事をしたいなあ、と思ってその女性もワーキングシーンでとってきた。

 女性は保険の営業職のようで、先ほどの男性と同じように朝礼を済ますと、客先周りをしていた。18時には仕事を終え会社を出た。

 保険の営業も18時には終わるのかと思っていると、18時半に男性と待ち合わせをしてレストランに入っていった。

 ワーキングシーンには仕事のシーンしか映さないから、これも仕事か。レストランのテーブルで、男が書類にサインをしている。こういうシーンでも保険の契約をするのか、保険の営業もありかな。保険の仕事に興味が沸いたのは肌が白くきれいな顔立ちをした女性が魅力的に見えたせいもあるかもしれない。

2人は20時過ぎにレストランを出て、しばらく店を探している様子だったが、APAホテルに入っていった。部屋に入り女性が洋服を脱ぎシャワーを浴びる。慌ててアプリを落とした。

 枕営業か、これはパスだな。

 そんなことを考えていると実家の父親からラインが入った。

“母さんの命日には帰っておいで”

 20年前に事故で亡くなった母親の命日が翌週の日曜日だった。まさ美の実家は山梨だ。上京してから帰るのは盆と正月くらいだが、それ以外にも母の命日には必ず帰って墓参りに行っていた。

“わかりました”とだけラインに返信した。

「仕事を辞めたって、そんな都合のいい仕事は今どきないだろ」

 墓参りの後、実家の近くの居酒屋で久しぶりに父と2人きりで食事をしていた。

 父は母が亡くなってから、まさ美が就職するまでの間、昼の仕事をし夕食の準備をすると、夜勤の仕事もしていた。まさ美が中学に上がるまでは夜は祖母が面倒を見てくれていた。

 まさ美が中学2年の時に祖母は亡くなったが、そのころは夜間でも家に1人でいるのは苦ではなくなっていた。大学まで卒業できたのは父が自分を犠牲にして仕事をしてくれたからだと思っている。父はまさ美が就職してからは、昼の仕事を辞め、夜勤の仕事だけに絞ったようだ。

「お父さんこそ、夜勤の仕事はもう疲れるんじゃないの?体力があるうちは良かったかも知れないけど、そろそろ昼の楽な仕事をしたら」

「何を分かったような口をきいてるんだ、お父さんは気が付いたんだ、これが天職だと。いいか自分のプライドまで捨てて仕事をする必要ないんだからな、ちゃんと自分が何を求めているのか、考えて仕事を決めるんだ。お父さんは自分を犠牲にしてきたが、いつかそれが犠牲ではなく喜びに感じる日が来る、お客様の笑顔を思うだけで、どんなにか幸せか」

「お父さんは車のライン工場で働いてるんでしょ?そんなお客様の笑顔なんかわかるの、それにもう年なんだから、危険なことはしないでよ」

 少々スピリチュアル感を感じたが、父も自分を犠牲にして働いてきたことを誇らしく思っているのだろう。

「仕事の先に客の笑顔を感じるのは、仕事を長くやっていればわかるようになる。たまにはけがをすることもあるけど大したことはないよ、それよりまあ、お前も頑張って仕事を探すんだな」

 父の腕の節々には青あざや擦り傷の跡が残っていた。

 父からはそんな説教じみた話をされ、その日は眠りについた。今くらいしかないかも、そう思って3日くらい実家でゆっくりしていた。まさ美が実家にいる間も父親はせっせと夜勤の仕事に行っていた。

 東京の部屋に帰ると、3日ぶりに1人になったからか、部屋の中が以前より静かな気がした。お父さんの仕事ぶりでも見てやるか。記念にと言って、写真を撮るついでに、ワーキングシーンで父親をとってきたのだった。

 ファイルを立ち上げた。父が作業着を着て勤務先に向かっている。きっとまじめな顔して仕事しているんだろうなと思っていると、すぐに仕事に没頭する父親が映し出された。

 確かに真剣な顔をしているが、様子が変だ。父はパンツ1枚の姿になり、両手首は手錠のような拘束器具がかけられている。真剣にならざるを得ないだろう。その姿で円形のステージに上がると会場に拍手が鳴り響いた。スポットライトが父を明るく照らしている。

 ステージの反対側から、皮のボディスーツと黒の網ストッキング、ハイヒールを履いた女性が出てきて、黒いムチを振り回している。たまにそのムチがパシッと大きな音をたてて父親の尻を叩く。

「もっと愛をください、女王様!」

 父が大声で懇願すると

「そうか、じゃあこうしてやるー」

 更に数回、父はムチでいたぶられた。

「ひえー、あ、ありがとうございましゅ、じょほーさまー、つ、次はなにほー」

 最後は滑舌が悪くなっている。会場が沸く。

「次はこれよー」

 父は大きなルーレットのような円形の機材にダイノジに張り付けられると、女王様がそれを回し始めた。

「ひえー、助けてたすけてくだしゃーい」

 父が回転しながら叫んでいる。

 自己犠牲が喜びに、か。確かに目の前の客が喜んでいる。だが、ちょっと違う。そこは助けてくださいではなく、ありがとうございますだ。父の叫び声がまさ美の中に何かを呼び起こした気がした。

「上からが好きなのかしらね」

 ハローワークでの川口の言葉が浮かんだ。

 3歳年下の男性社員の泣き顔を思い出しながらパソコンを立ち上げると、まさ美は検索画面にキーワードを入力した。

「女王様 仕事」

 ワーキングシーンは役に立つ。


光夏プロフィール
不動産業界、人材業界での業務に従事。転職に失敗して年収を一旦落とすも盛り返す。会社員時代の最高年収は1,200万円。2010年から副業でwebライターの業務をスタート。副業の収入だけで月収40万円を超える。2018年フリーライターに転身。
著書 ・小説「頑張れフレンドリーズ」(2019年発売)。

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